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【虎ノ門ニュース】火曜特集 江崎道朗さん、三度登場「日本敗戦革命! 第2の危機=日本列島分断の危機」

YouTube【【DHC】2019/4/9(火) 百田尚樹×江崎道朗×居島一平【虎ノ門ニュース】の火曜特集  

2018/12/4(火)「暴かれたコミンテルンの真実」、2019/01/29(火) 「日本『敗戦革命』の危機」に続く
「日本敗戦革命! 第2の危機」より

尚、解説コメントは、一部を抜粋しています。

■ 戦前戦後の共産革命

共産主義革命のおさらい

1919年 ソ連のレーニングがコミンテルンを組織

→ 米国にコミンテルンのスパイが入り込み暗躍、反日世論工作を展開。

1941年 大東亜戦争勃発

1945年 GHQの占領政策が始まる

→ GHQの内部や公職追放により居座った共産主義者が日本の共産化を画策。

1947年 二・一ゼネスト

→ 共産主義勢力がゼネストを行い、混乱に乗じて革命を起こそうとした。

(江崎道朗)
 中国や北朝鮮は、ソ連コミンテルンの工作で共産主義の国になった。
 中国共産党は、ソ連コミンテルンの中国支部。ちなみに日本共産党は、コミンテルン日本支部。
 世界中に共産党を作って、共産化をしよう。
 共産化するとは、何かと言うと金持ちを殺して、共産党が一党独裁をして、人民はいうことを
 きけというヒドイ仕組み。

 二十世紀は、共産主義に乗っ取られた時代だった。

 敗戦革命といって、戦争に負けて負けた国を共産勢力が乗っ取るということを日本も対象にしていた。

 日本も戦争に負けた後、軍隊が無くなり、警察がほとんど無くなり、治安組織も無くなり、
 政府機能は麻痺している中で、共産党と共産党に呼応する労働組合が暴れ放題。

 ゼネストで国家の機能が麻痺して、一気に権力を握ろうという事を1947年二・一ゼネストの時に
 企んでいた。

 GHQの中にいるソ連のスパイもそれを応援していた。非常に危ない状況だった。

■ コミンテルンの暗躍を裏付けるヴェノナ文書

(居島一平)
 これまで共産主義勢力の暗躍について、いわゆる陰謀論ではないかと片付けられてきたが、
 それを覆す非常に重大なアメリカの公文書が、1995年に公開された。

1995年 アメリカ政府が公開

ヴェノナ文書

(江崎道朗)
 アメリカは、一枚岩でなく共和党は共産党を嫌いだったが、民主党は共産党に融和的だった。

 戦争中にアメリカのルーズベルト民主党政権はソ連共産党に甘くて、その結果、ルーズベルト
 政権の中にソ連のスパイがいて、彼らが日本とアメリカを戦わせるように仕向けたという噂は
 ずーっとあった。

 ところが、戦争中にアメリカ陸軍の情報部が、ホワイトハウスやルーズベルト政権のところにいる
 官僚たちの秘密電報を傍受して、解読作戦をやっていたその文書が、5,000ページ分ある。

 これが、1995年に公開されたヴェノナ文書といって、アメリカのNSA(アメリカ国家安全保障局)
 にあり全部見れる。オープンになっている。

 これを解読したら、例えば、
 ハル・ノートを作ったハリー・デクスター・ホワイトがソ連のスパイだった。
 日本国憲法の制定に関わっていたトーマス・アーサー・ビッソンもソ連のスパイだった。
 というような事が次々と表に出てきて、やっぱりルーズベルト民主党政権の中にソ連のスパイが
 いたというのは嘘じゃなかったということが、アメリカ政府の文書で明らかになった。

(居島一平)
 共産主義者に都合よく操られてしまう「おバカさん」という意味で、番組発の流行語になった感のある
 それが、「デュープス(Dupes)」。

(江崎道朗)
 これが厄介なのは、ソ連寄りや共産党寄りの事を言う人を共産主義者だとレッテルを貼っても本人は
 そのつもりが無い。

 だから、レッテル貼りをしても余り意味がない。
 それよりも共産主義のイデオロギーに上手く騙されているのだから、少し自分でちゃんと考えましょう
 というアプローチをしないとダメ。

 デュープスの本来は、レッテル貼りを止めましょうという意味なんです。
 自分たちも上手く操られているのはないかと深く自分で考え直すという意味合いもあります。

■ 1950年 日本列島は分断されたかも!?

(居島一平)
 1947年の二・一ゼネストで共産主義勢力に乗っ取られそうになった日本に再び3年後に危機が迫る。

日本敗戦革命!第2の危機のキーワード

1950年 日本列島分断の危機

(居島一平)
 二・一ゼネストで敗れた共産主義勢力は、虎視眈々と盛り返しを狙っていた。

日本に対する共産革命工作

1947年11月 ソ連が極東コミンフォルム大会を開催

■ コミンフォルムとは?

(江崎道朗)
 コミンテルンという世界を共産主義化する組織というのは、戦争中に一旦廃止する。

 何故かというと、ソ連がアメリカと組むのに当たって、これからは世界の共産化を止めます
 ということでコミンテルンを廃止した。。

 第二次世界大戦が終わった後、東欧を共産主義化して再び世界共産化を始めて行くのに当たって
 1947年にコミンテルンに変わって、コミンフォルムという組織を作る。

 名前だけ変わったということです。
 世界共産主義ネットワークの司令塔で、まず、ヨーロッパ(東欧)を共産主義にする。

 ポーランドとかバルト三国とか段々と支配して一通り終わったところでスターリンは
 次は、アジアだということで、1947年に極東コミンフォルムという大会を開いて、
 アジア共産化をするぞ、中国共産党に呼応してアジア共産化頑張れ、とアジアの共産主義者を
 集めて大会をやる。

 当然この時に日本共産党の幹部も参加していたといわれる。
 ウラジオストクとハルビンで開催された。何回か行われている。11月、翌年の1月とか。
 大会に参加して、軍資金といわれて金の延棒や宝石とかをがさっと貰って、それを持ち帰り
 革命資金にしていた。

 GHQの中にも反共派の人たちと容共派の人たちが真っ二つだったが、どちらかというと
 容共派の人たちの方が一貫して強かった。
 何故かというとトルーマン民主党政権だった。

 マッカーサーは、共産党は嫌いだったが、共産党なんか大した事は出来ないと高を括っていた。
 マッカーサーというのは、常に時局を甘く見て、判断をミスする司令官としては、甘ちゃんの
 司令官です。
 だから、フィリピンのバターンだって負けるし、司令官として自信過剰すぎて相手を甘く見る
 という司令官としては、マズイ司令官なんです。

 マッカーサーは、舐めまくっていた。共産党なんて大したことはできないよね。
 部下たちが容共派主義者がいっぱいいて大丈夫だよみたいな、直ぐ部下に騙されるタイプです。

■ 朝鮮戦争の引き金となったアチソンライン

(居島一平)
 ソ連の工作が及んでいた時にアメリカの国務長官アチソンが、1950年1月に このような宣言を
 出す。

1950年1月 アチソンライン

アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン-日本、アリューシャン列島まで

(江崎道朗)
 当時、中国共産党政権は出来ていて中華人民共和国は、チベットだとかウィグルだとかを
 ドンドン侵略し始めていた時。
 ソ連もヨーロッパをやっていた時の世界を共産化するやる気満々で、取り分け中国は、
 蒋介石政権との戦いに勝って、中国を取ったぞと高揚感のある直後にアメリカは、
 朝鮮半島や台湾を守る気はありませんと言った。
 アホですよね。

 アチソンという人、実はバリバリの民主党員なんですが、コミンテルンのスパイが書いている本の
 愛読者だった。

 要するに天皇戦犯だとか、日本を打ち滅ぼせだとか、日本は軍国主義者で世界制覇を狙っている
 ヒドイ国だから国家神道を潰してしまえとかのそのような本ばかりを読んでいた。
 言い方が悪いが、新聞赤旗ばかり読んで物を考える人。朝日新聞とかね。

 後で、ゴメンなさいと言った。
 僕はアチソンラインと言ったけれど、韓国や台湾を守らないと言っていないですと修正しました。
 批判されて、後から一生懸命修正しましたが、最初は、こういう事を言っちゃった。

(居島一平)
 だから、金日成が韓国に攻め込むという引き金をひかせてしまった。

(江崎道朗)
 朝鮮半島は守らないんだな。言わないという事は守らないんだなという話です。

(居島一平)
 これを導火線に歴史が一気に動いていく。

■ 1950年 朝鮮戦争までの動き

1950年の主な出来事①

▶ 1/12 アチソンライン発表

▶ 2/14 中ソ友好同盟相互援助条約締結

▶ 2/18 ソ連代表部が日本に革命(共産革命、武装革命)指示

▶ 4/14 アメリカが対決方針の決定

▶ 6/6  マッカーサーが日本共産党24名を追放

(江崎道朗)
 前の年(1949年)に蒋介石を台湾に追い出して中華人民共和国を建国した。
 勝利した毛沢東は直ぐにモスクワに行く。
 スターリンと会って、大陸を取った。次にどうするという相談をする。

 相談をして「中ソ友好同盟相互援助条約」を結ぶ。
 そこに何が書いているかというと日本の侵略を阻止するために中国とソ連は同盟を結ぶという。

 これは、どういうことかと言うと日本を自分たちの支配にするという事です。

 その為には、まず朝鮮半島を支配下に置くという段取りをこの中でしながら、
 俺たちは朝鮮半島に攻め込むので、日本共産党の皆さん、米軍が動けないように、朝鮮半島に
 行けないように日本列島で武装革命(武装蜂起)をして在日米軍を釘付けにしろという指示を
 だしたのが、2/18です。

 その片の記録の事は、アメリカの公文書でも表に出ている話です。

 NSA(アメリカ国家安全保障局)が、この情報を得た上で、4/14に、
 日本が本当にやられる。マズイ。これまでのように日本の共産党の人間を泳がせたりしている
 場合じゃない。
 そもそも米軍もあまりいないし、日本に軍は無いし、警察官は銃を持たせてもらっていないし、
 本当にマズイ。
 日本の再武装・再軍備を含めたことをやらないとをマズイと慌てて、アメリカは方針を変えた。
 逆コースと言われる。
 それに基づいて、マッカーサーが日本共産党の幹部24名を追放処分するという動きです。

 要は、日本に軍が無いし、警察が無いし、共産党員を取り締まる組織も無いし、マッカーサーが
 そう言っても取り締まる組織が無いから遅いんですよ。

 マッカーサーの部下たちは、2年前から中国共産党が中国大陸を奪うと、次は 日本なんだから
 日本の再武装をしないとダメじゃないかとずーっと言っていた。

 マッカーサーの部下たちは、2年前から中国共産党が中国大陸を奪うと、次は 日本なんだから
 日本の再武装をしないとダメじゃないかとずーっと言っていた。

 ところが、マッカーサーは、「バカ」、中国は蒋介石が勝つんだから大丈夫だ。
 日本共産党もグダグダ言っているだけで、大したことないんだから大丈夫だと言って甘い見通しで、
 日本の再武装をずーっと否定していた。
 本当にマッカーサーって馬鹿です。

(居島一平)
 ソ連の革命指令によって、中国日本共産主義連合という組織が非合法に活動を開始する。
 それは、トップが中国共産党で、その下に朝鮮総連、さらにその下に日本共産党があった。

(江崎道朗)
 日本共産党は、当時、パシリだった。
 朝鮮総連というより朝鮮系共産主義者たちがいて、日本共産党というような状況です。
 今の朝鮮総連とは、別の組織と見てもらいたいですが、そういう感じで動いていてパシリです。

(百田尚樹)
 ここから急速に動きますね。

1950年の主な出来事②

▶ 6/25 朝鮮戦争勃発

▶ 7/8  マッカーサーが警察予備隊の設立を指令

▶ 8/10 警察予備隊設立

▶ 9/14 北朝鮮が釜山まで進軍。アメリカが日本にとって重大な決定

▶ 9/15 国連軍の仁川上陸作戦成功(以後、戦争は3年続く)

(百田尚樹)
 アチソンライン、アチソンが朝鮮半島は知らんと言ったら、半年でスターリンの命令を受けた
 金日成が攻め込んだ。
 本当にこの状況は危険な状況だった。

(江崎道朗)
 繰り返しますけれど、当時在日米軍は10万人くらいで、韓国にはほとんど軍隊がいない。
 日本軍は、0ですよ。軍隊がアジアにほとんどいないので、北朝鮮からすれば絶好のチャンスですよね。
 早いですよ。準備は、ずーっとやっているですから。

 仁川上陸作戦を指揮したのが、マッカーサー将軍ですけれど、
 仁川上陸作戦だって、あまり表に出ていないのですが、事実上、日本軍の将兵たちが仁川の通信部隊を
 小銃と日本刀を持って潰したという話の噂が出る。
 朝鮮半島の地形を解っているのは日本軍で、米軍は知らない。

 旧日本軍の軍人を使ったという噂がある。
 韓国軍は、オーラル・ヒストリー。口頭で言っている。裏は取れないのでわからないです。
 そういう話があるくらい日本軍が出ていかないと、地形も知らないし米軍はまともに戦えない。
 まぁー、アメリカ軍はそんなに強くない。

 重大な決定というのは、
  朝鮮戦争で釜山までやられた時に、(次に)日本にやってくる。
 その時は、福岡で空襲警報が鳴っている。
 朝鮮軍が日本にやってくるというくらい緊迫した状況の中で、実は米軍もそんなにいない。

 このままソ連が、北海道の方に来たら、北海道は守れないといって、米軍サイドは、北海道や東北は
 放棄するしかない。
 守ることを諦めるくらい危機的な状況だった。

 防衛ラインを引けるのは、ギリギリ仙台くらいだろうという緊迫した状況が あった。

 この辺の所は、後で陸上自衛隊の幹部が回想録で、実は米軍からそういう事を言われた。
 非常に危機的な状況だった、と。

■ 朝鮮戦争の劣勢で焦るアメリカ

(居島一平)
 ここに当時のアメリカの新聞の記事があります。

北朝鮮が釜山侵攻。アメリカの焦り

「共産側が韓国を侵略した理由の1つは、日本の究極的征服を容易にするためで
 あった。  
 ソ連はすでに千島を占領しているので朝鮮が共産政権によって支配されれば  
 日本はソ連によって挟まれる形となり、真の独立を保つことは難しくなるだろう」

(アチソン国務長官補のラジオ放送)
 *.アチソンラインのアチソンとは、別の人

出典:毎日新聞1950年9月15日夕刊

(江崎道朗)
 アチソン国務長官補は、マッカーサーが日本の再軍備を遅らせて対応していない状況の
 このままだと本当にマズイぞ。
 本当にソ連が同調してやって来たら大変な事になるという事で、ラジオ放送をする。

 非常に危機的な状況だからマッカーサー、お前たちぼやぼやするなという話です。

 GHQ、在日米軍の人たちに本当にマズイんだから高を括っているんじゃないよという
 ような話です。

■ 朝鮮戦争で米国は日本の防衛ラインを下げた

(居島一平)
 1950年11月25日に中国人民義勇軍が、30万人朝鮮戦争に介入してきた。
 この時にアメリカは北海道の防衛を断念?

アメリカが決定したソ連侵攻への対処

1950年11月25日 中国人民義勇軍30万人が朝鮮戦争に介入

アメリカは北海道防衛を断念?

(江崎道朗)
 米軍は、韓国(朝鮮半島)に行っているんです。だから、日本は空なんですよ。
 尚且つ、マッカーサーは警察予備隊を作れと言ったが、日本軍の再軍備を反対していたから、
 嫌がらせで、この段階でも日本軍の兵士にカービン銃(小銃)しか渡さない。

 マッカーサーって一貫して嫌がらせみたいなガキみたいことがある。

 カービン銃では、戦車部隊に立ち向かえないという中で、このままだと北海道防衛を諦めざるを
 得ないし、仙台まで防衛ラインを引かざるを得ない。

 スターリンが、北海道侵攻計画を本気でやっていたら大変なことになっていた。
 分断されていたと思います。

(百田尚樹)
 1950年6月に朝鮮戦争が勃発。
 金日成が突如として北緯38度線を乗り越えて越えて韓国を征服した。
 これは、今は常識となっているが、ソ連が崩壊するまでの1980年代までは、朝鮮戦争を
 どちらが先に戦争を始めたかは日本ではわからなかった。

 日本の進歩的文化人、ジャーナリスト、大学教授たちは、韓国が先に戦争を始めたと言っていた。
 朝鮮戦争は韓国が仕掛けたとずーっと言っていた。

 1980年代後半にソ連が秘密文書を全部公開したその時にソ連の命令を受けた金日成が先に戦争を
 したのが、初めてわかった。

(江崎道朗)
 1980年代後半からアメリカも含めた外交文書がドンドン公開されてようやく本当の事が
 わかってきた。
 それまでは、朝鮮戦争は、韓国とアメリカが仕掛けたという話が堂々と語られていた。

 海を渡ってソ連軍が侵攻するのは大変だということを言う人がいるんですが、当時、米軍は韓国に
 行っていて、日本は空なんです。日本軍はいない。空の状態でいくらでも取りたい放題の状況だった。
 当時、海上保安庁だってまともにいない。ソ連軍が船できた時に阻止する術が無い。
 抑止する力が無い。

■ 日本分断を救った3つの要因

(居島一平)
 しかし、ソ連・中国・北朝鮮の野望は実現しませんでした。歴史の通りです。
 それは、3つの要因があったと考えられる。

共産主義勢力の野望を打ち破った要因

①アメリカ・国連軍による反撃

→ 仁川上陸作戦による盛り返し

②日本の警察予備隊の創設

→ アメリカは日本を「反共産主義の防波堤」へ位置づけ変更

③日本の革新勢力が中ソに同調しなかった

→ レッド・パージで日本共産党とそれに同調するマスコミは公職追放されて沈黙

→ 社会党などは同調しなかった

(江崎道朗)
 順番に言うと、まず、国連・アメリカ軍が反撃して押し返した。
 米軍が徹底して戦って押し返したという反撃が強かった事と場合によっては、核兵器を
 使用することも辞さないというところまでやったので、中国やソ連がちょっとビビった。

 ソ連は、核兵器を開発したから朝鮮戦争にゴーサインした。
 カナダとアメリカ本土の核技術者たちのところにソ連のスパイが随分入り込んで核技術が
 ソ連に流れいた。

 2つ目が、日本の警察予備隊が最初 7月の段階ではマッカーサーが嫌がらせをしていて、
 カービン銃しか渡さない。
 しかし、中国人民義勇軍が30万人入ってきて、流石にビビって急遽、アメリカ本国に日本の
 警察予備隊に戦車とか榴弾砲とかの本格的な武装を渡してくれと頼んだ。

 警察予備隊が、そのような武装を持つようになった。そうすれば、日本は連戦連勝でしょ。
 中国軍は、日本軍に勝ったことが無いじゃないですか。
 勝ったことが無い日本軍が、アメリカ軍の武器を貰って復活したら怖いですよ。

 3つ目、大きかったのは、社会党が同調しなかったことです。
 社会党は、この時、朝鮮戦争は北朝鮮による侵略だ、けしからん。
 当時、社会党というのは、戦前からの流れで貧民救済をやる愛国派がいっぱいいる。
 コミンテルンの流れじゃない。
 だから、社会党の中にはマトモな人が結構いて、そういう人たちは、北朝鮮はけしからん。
 我々は労働者の味方であって、ソ連の味方じゃない。

 この時の代表格の指導者の一人が、西村栄一という人。西村眞悟先生のお父さんです。

(居島一平)
 西村栄一さんが、後に民社党を作った。

(江崎道朗)
 この時は、社会党右派のリーダー格で、社会党の安全保障なんかを指導していたのが、
 西村栄一先生なんです。
 この人が頑張って、社会党は共産党とは違う。北朝鮮の侵略なんか許せるか。

 社会党が同調しなかったというのが、大きなポイントです。
 これは物凄く大事なんです。
 当時の労働組合の総評も北朝鮮の侵略はけしからんと攻めた。
 共産党系以外の労働組合は、貧民救済は何とかしないと思っているだけで、安全保障は
 まともだった。

 <ご参考> 
 1947年に極東コミンフォルムがば開催されたウラジオストクは、
 宮脇淳子著『日本人のための世界史』(KADOKAWA)に
 沿海州の南端に建設した「ウラジォストーク」という街の名前は、
 「東方を支配せよ」という意味です。とある。