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宮脇淳子先生の『皇帝たちの中国』「漢民族が10分の1に激減し遊牧民がやってきた」 ・・・ 漢族絶滅 

YouTube 皇帝たちの中国 第2章 第1回「漢民族が10分の1に激減し遊牧民がやってきた」
     宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら・2018年7月10日配信】より

※ 宮脇淳子先生の著書『どの教科書にもかかれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)
  の中に「魏・呉・蜀の三国時代に漢族は絶滅した」があり、この動画の内容が記載されています。

  後漢の156年の人口:5000万人弱が、黄巾の乱から50年を経た230年代には、魏が約250万人、
  呉が約150万人、蜀が約90万人で、三国を合計しても500万人で十分の一になった。
  事実上の漢族の絶滅ですとある。

■ 古代中国に戸籍があった

(宮脇淳子)
 戸籍が無いのに何で人口の半減がわかるのか?戸籍があるんです。
 凄いんです。『後漢書』とか『漢書』の中に何とかという土地の「しゅう」には
 人間がこれぐらい居ると端数まで全部出ている。
 古い時代の方が、真面目に数字を書いている。

(田沼隆志)
 最近の政府の方が統計が信用ならないというのがありますけど。

(宮脇淳子)
 昔何でそんなにしっかりあるかというと、やはり国民というか漢の人になる
 ということは、税金を払う。
 軍隊のお金を払うか徴兵されるかそういう政府とのやり取りの契約が
 はっきりしているというなの。

 だから、最初、都市と都市のネットワークから始まって、やがて領域国家に
 なって、秦の始皇帝が統一する。
 その秦の始皇帝が統一した所はもうほとんど面のようになって、チャイナが
 出来るじゃないですか。

 その周りが異民族になるわけですね。また、異民族のところにも街を作って
 出て行って拡大したわけです。

 そうすると万里の長城も出来るし国境のようなものがやがてできたわけで
 その中に「しゅう」という政治の統治の日本の県のようなものができて
 そこに何人いるというのが、全部あがっている。

  だから最大6,000万人までの統計というのが一度、非常にはっきり出るって
 本の中に書いている。それ本当なんです。

  私も計算して足し算したけど、出ている。ほとんど書いてあります。

(田沼隆志)
 あぁー、だからそれが答えですね。

前漢の末の元始2年(紀元2年)人口統計 5千9百59万4千9百78人

(宮脇淳子)
 それでそれの半分になるんです。

(田沼隆志)
 凄い話ですね。

紀元23年までに人口が半減

(宮脇淳子)
 前漢の末に外戚の王莽が乗っ取っちゃって漢が一度滅んで、新が出来る。
 新しいの「新」が出来る。

 王莽というのは、儒教の狂信的な信者でイデオロギーに凝り固まった
 儒教通りの政治をするという凄く熱心だったんですね。

 どういうことかと言うと夷狄は野蛮な奴らだから目下なんだからというんで
 これまで朝貢で沢山あげていたのを減らすとか、それから高句麗等、名前も
 何か夷狄らしくするとか、変に教条主義的なことをやって周りの異民族とか
 周りの人たち全部を怒らせた。

(田沼隆志)
 儒教を一生懸命やるとそうなるんですね。

王莽
新の建国者。前漢の外戚。幼少の皇帝を立てて実権を握り
8年自ら帝位につく(在位8年-23年)。
その間、儒教を重んじ即位の礼式も官制の改革もすべて
古典にのっとる。

(宮脇淳子)
 儒教っていうのは、まあ長幼の序というか秩序の概念。

(田沼隆志)
 なるほど。

(宮脇淳子)
 融通が効かないわけなのね。
 それでその実力ではなく、その後の朝鮮半島の歴史を考えたときに
 儒教通りやると物凄く秩序しか言わなくなる。

(田沼隆志)
 なるほど。

(宮脇淳子)
 実際の経済とかを抜きにして考える。

(田沼隆志)
 形式とか順番とかが先で。

(宮脇淳子)
 王莽さんというのは、そういう人で反乱につぐ反乱で人口が半分になる。

(田沼隆志)
 人口が半分になった。

(宮脇淳子)
 それで、前漢が半分になったのが、後漢の光武帝っていう漢の皇族の
 端っこの一族の人が盛り返して、ものすごい反乱がいっぱいあった中から
 ちょっとずつちょっとずつ力を蓄えて、もう一度、漢を復興したのが、
 後漢なわけです。

(田沼隆志)
 後漢ですね。前漢があって、その新の混乱があって、後漢がある。

光武帝
王莽の新朝を倒して、後漢を創始した初代皇帝(在位25年-57年)。

紀元37年の人口 約1千5百万人

(宮脇淳子)
 後漢の時にやっと、順番に復興してまた5,600万まで戻ったって書いて
 ありますでしょ。
 これもちゃんと人口統計が書いてあるんです、漢文に。
 ちゃんとしているんです、昔は。

(田沼隆志)
 先生、この本で信じられなかったんです。
 初め6,000万でしょ。 間に1,000万ぐらいになっちゃっているじゃないですか。
 これ、本当って。

2世紀半ばの人口 5千6百万台人に

(宮脇淳子)
 なんでそういう事になるかっていうと、その後の三国時代の話にも
 必要なので何でそんなに人口がいっぺんに減るかという話をしたい。

(田沼隆志)
 是非、お願いします。

■ なぜ人口が急激に崩壊するのか?

(宮脇淳子)
 シナ大陸は、普通に平野が広がっているじゃないですか。
 そうすると天候の異変があって、雨が降らないと同じようにどこもかも
 雨が降らない。

(田沼隆志)
 あぁー、そうか。

(宮脇淳子)
 違う気候にならないんです。いっぺんに同じようになるわけ。

(田沼隆志)
 あぁー、そういう事か。

(宮脇淳子)
 日本は凄くてくて、日本列島は海に囲まれて山があるから山を向こう
 越えていくと違う気候になる。

(田沼隆志)
 そうですね。山陽山陰とか。

(宮脇淳子)
 こちらに干ばつがあっても逃げて行くと違う気候の所に逃げていける。

(田沼隆志)
 そうですね。

(宮脇淳子)
 海に潜れば、食べ物がある。山に入れば何かある。

(田沼隆志)
 なるほど。

(宮脇淳子)
 逃げるところがあるので、割合に圧倒的に沢山の人が死んじゃう
 ってことが無いわけですよ。

(田沼隆志)
 確かにそう、バリエーションが。

(宮脇淳子)
 餓死が少ない、日本史っていうのはね。逃げまくれるというか山を
 越して違うとこへ行ったり出来るわけ。

大平原では飢饉は広大な範囲に及ぶ

(宮脇淳子)
 シナ大陸を考えるとでぇーっと広がってるでしょ。
 そうすると一度干ばつが来ると、全部干ばつになる。
 逃げても逃げても隣の街に行っても同じ。隣の街に行っても同じ、
 食べ物が無い時は全部一緒に無い。

(田沼隆志)
 何か聞いた、三国志でイナゴの大群がやって来たら全部食べられちゃった。
 また、隣も全部食べられちゃった。

(宮脇淳子)
 どこまで歩いて行っても無くて子供を交換して食べたとかが
 あるじゃないですか。

(田沼隆志)
 あぁー。

(宮脇淳子)
 その次、もう一つはね。
 これは後漢末に今度は三国時代になると人口が10分の1になるって
 今日の話でしたね。

(宮脇淳子)
 何で10分の1になるって、それも証拠がある。
 その後漢が三国時代になって書いた漢文が残っていて、昔の人口の
 10分の1だ。
 この「しゅう」はかつてこれだけあったのに今じゃ10分の1だと
 いっぱい書いているからそれを足しても足しても最初の6,000万が
 魏と呉と蜀を足してやっと500万ということがわかる記録があるんです。
 これは本当にあるんですね。

後漢末には人口 4百万台人に

(宮脇淳子)
 何でかという話なんです。

 戦争が起こると兵隊が必要なので徴兵をするわけ。そうすると農民は、
 農業をしているのに徴兵されると農業する人口が減る。

(田沼隆志)
 農業を放棄して。

(宮脇淳子)
 あるいは、戦争が起こると焼いたり逃げたりする。作物を植えるような
 平和だったら守ってもらっているからこそ来年の為に植えるんでしょ。

 どころがそこは戦乱の地になると村からみんな逃げちゃったり、作物を
 植えるどころじゃないしっていうとその土地があっても作物を植えない
 ことになる。

(田沼隆志)
 なるほど。

(宮脇淳子)
 その次の季節が来ても収穫できない。

(田沼隆志)
 ほったらかしになるんだ。

(宮脇淳子)
 人はいなくなるは、収穫物は無いは、食べるものは無い。
 これが30年続いてごらんって

(田沼隆志)
 ありゃー。でも地獄のような世界としたらバタバタ死んじゃう。

 食べ物が無い。  

(宮脇淳子)
 だから日本だったら海に潜るでしょ。海が無いもの。広いし。

(田沼隆志)
 無いですね。

(宮脇淳子)
 山はもう1千年も人が住んでいたら、山に動物なんかいないでしょ。
 穀物を植えるしかないないのよ。植えるしかないのに植える人がいない。
 (略)
 次の年に食べ物が無い。益々その次の年に植えるものが無い。
 穀物の種もない。

連年の戦乱で農業は壊滅的に

(宮脇淳子)
 循環していって、それで後漢末、黄巾の乱が184年で
 この時に全国的に騒乱が起きる。

黄巾の乱
後漢末の農民反乱。
太平道という新興宗教で貧窮農民の心をとらえた張角は信徒を組織して、
184年に蜂起。衆徒は目印として黄巾を着用。
乱は鎮定されたが、これをきっかけに群雄割拠を招来、後漢は滅亡し、
三国鼎立の時代となる。

(宮脇淳子)
 黄巾の乱は、後漢の将軍が鎮圧にいくわけですよ。将軍の方は、もちろん
 武器はあるは、家来はあるは強い。
 黄巾の乱という秘密結社の反乱はあっという間に鎮圧された。
 農具で戦ったからね。

(田沼隆志)
 あぁー、そういう事ね。

(宮脇淳子)
 この頃、まだ人間は財産だから将軍たちがその鎮圧した農民を自分の部隊に
 吸収して将軍の部隊が人間が多くなったら将軍同士の争う。
 将軍同士の権力闘争というのが、三国志演義の世界でしょ。
 (略)

 戦争ばっかりするでしょ。その間、いったい誰が農業をしているの?

(田沼隆志)
 誰ですか?

(宮脇淳子)
 いなくなっている。

(田沼隆志)
 誰もやっていないんだ。そういう事ですか。

(宮脇淳子)
 それで、ガタンガタンと人口が減っていった。食べるものがないわけです。
 穀物が再生産しなくなるから。

(田沼隆志)
 じゃー、光武帝の時に5000万

(宮脇淳子)
 せっかく戻ったのに後漢末にバーっと減って、500万くらいになったのが
 三国時代。

 (中略)

人狩り

(宮脇淳子)
 呉の方は台湾へ行って原住民を連れてくるし。蜀の諸葛孔明は山の中に
 入っていって人間狩りをするわれ。
(略)
 それで魏の曹操は、何をしたかというと、遊牧民を呼び込んだ。

多数の遊牧民を辺境から連れてくる

 (以下、略)

 <ご参考>