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宮脇淳子先生の『皇帝たちの中国』「中国人はどこから来たのか」 ・・・ 東夷・西戎・南蛮・北狄の子孫だった 

YouTube 新番組「皇帝たちの中国 第1回 中国人はどこから来たのか」
     宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら・2018年6月5日配信】より

※ 宮脇淳子先生の歴史の説明は、教科書や通説では教えられていない内容に驚かされるが
  面白いしためになる。
  この『チャンネルくらら』の「皇帝たちの中国」シリーズの動画もいきなり驚きの
  内容からスタートだ。

※ この動画の内容は、2019年1月10日発行の宮脇淳子先生の著書 
  〔新装版〕封印された中国近現代史(ビジネス社)  
    第2章 近代以前の歴史
     黄河文明の誕生
     漢人はどこから来たのか
  に記載されています。  

中国人はどこから来たのか

(宮脇淳子)
昔は、凄く優秀な種族が中心にどこか全然違う処からそのグループだけがポーンと来た説が
結構あった。

(田沼隆志)
中国の真ん中辺りに。

(宮脇淳子)
つまり、洛陽盆地、黄河文明がいきなり発展する。その周りと隔絶している。
だから、例えば中近東からある凄く優秀な知識人が来ていきなりそれが核になって中国に
なったとかありとあらゆる事をみんなが言った。

実際にまだ戦後になってもそういう説もあって、何故なら漢字文明が中心が栄える。
まぁ、外側と違うということはその人たちはやっぱりどーっと、
日本人がそういうことを言いたがるのは、日本は天から神様の子孫が降りてきたという
イメージがあるから、黄河にどこか全然遠い処の文明人がいきなり移住してきたんだ
みたいな説を偉い大学教授が言ったこともあった。

(田沼隆志)
日本の教授がですか?ホーォー!

(宮脇淳子)
あったの。それを崩したのが、主人なの。

(田沼隆志)
オットー。

■ 東夷・西戎・南蛮・北狄の子孫

(宮脇淳子)
全然そんなはずがないと言ったのが、岡田英弘で。

(田沼隆志)
それだけでも偉大な業績を。

(宮脇淳子)
つまり 中国人は、東夷・西戎・南蛮・北狄の子孫 だった。

(田沼隆志)
あっ。それって先生、記憶だと野蛮人ですよね。東夷・西戎・南蛮・北狄も。

(宮脇淳子)
そうで、血筋は全部、東夷・西戎・南蛮・北狄だけれどもその中で漢字を勉強して
よその異民族と交渉するようになった一部エリートが自分たちだけ街の中に住んで、
その街の中に住んだ人たちは血筋は全然野蛮人の血筋だけれども俺たちはお前らと違うんだ。

■ 漢字を使って町に住んでいるエリート

(田沼隆志)
あーあ。

(宮脇淳子)
俺たちは文化が高いんだ、金持ちなんだ。
でその街同士で結婚し合うと混じっていくわけで、東夷・西戎・南蛮・北狄が。
街に住んでいる。街がいくつか出来るわけ。その街同士がほかと取引をする。
商売をする相手になる。

(田沼隆志)
そうですよね。

(宮脇淳子)
漢字を使って商売をするから結局、異民族とお互いに娘を交換して結婚すると
とどんどんエリート階級が出来ていって。

(田沼隆志)
階級がねー。

(宮脇淳子)
だから結局、 漢字ができて、街に住んでいるエリート階級が中国人 ということに
なる。

(田沼隆志)
じゃー、つまり混血のようは一つの民族というのじゃなくて。

(宮脇淳子)
最初から。

(田沼隆志)
おぉー、いきなり何か全然違う・・・。

(宮脇淳子)
としか考えなれないと言うのが、岡田英弘説なんです。

(田沼隆志)
あぁーそう。

(宮脇淳子)
何故かというと地図を出すと。

中国人は、東夷・西戎・南蛮・北狄の子孫

北京

●洛陽

●長安

※ 生業が違う人たちが
  漢字を使って、商売

長 江


東 夷

漁労民

西 戎

遊牧民

南 蛮

農耕民

北 狄

狩猟民

■ 生業が違う

(宮脇淳子)
司馬遷が史記を書いた頃っていうのは、洛陽と長安といって、その黄河の本当にくびれた所が、
黄河文明のもとで殷とか周とか  (中略)
中心が全部黄河の洛陽盆地の辺りにある。

何でそこが、その中心になったかと言ったら、ここは東夷・西戎・南蛮・北狄という
つまりは、 生業が違う という例えば、東夷は東の野蛮人っていうのは、司馬遷のいうところに
よると漁労民という潜って魚を取っていた人たち。

(田沼隆志)
まあ、海岸に近い所。

(宮脇淳子)
山東半島の向こうとか。

北狄というのは、北の狩猟民というか森の中で野獣を捕るでしょ。西戎というのは、草原で
遊牧をしている人たちで、南蛮は、本当に蛮族の蛮なんだけれど、焼畑他農業をする
粗放農業をするような山の中に住んでいる人たち。

(田沼隆志)
森林とかが多そうですものね。

(宮脇淳子)
そういう人たちが、取引きを出来る場所が洛陽盆地だった。

(田沼隆志)
あぁーなるほど、東西南北ちょうど真ん中だった。

(宮脇淳子)
全部違う気候で違う生業の人たちがたどり着いた場所というか、北から来ると河を越えられない。
黄河をなかなか越えられない。
南から来てもなかなか自分たちが森林へ行けない。

集まってくるから黄河では商売が盛んになって、その人たちが漢字が便利なので漢字を
使うようになって、それは後の中華文明というか黄河文明、中国人になる。

(田沼隆志)
なるほど。

(宮脇淳子)
だから、血統としたら物凄い混血だと。

(田沼隆志)
中国人という民族は無くて。

(宮脇淳子)
全然最初から無かったという。

(田沼隆志)
四つの色んな民族が。

(宮脇淳子)
四つだけじゃなかったと思う。四分割できるような全然違う人たちが商売を
したんだという。

(田沼隆志)
商売で都市に住んで、一応漢字を使うエリート階級を中国人と名乗ったと。

(宮脇淳子)
そういう風にみなした。中華ということになった。

(田沼隆志)
なるほど。  (中略)

(宮脇淳子)
なぜ、それが言えるかというと  (中略)(黄河が暴れ河についての説明は割愛)

■ ユーラシア大陸の十字路

(宮脇淳子)
実は、 西安から洛陽 の間の本の短い200キロだけが、普通の河で上流は凄い崖だし
下流は湿地帯だし、ここでだけ河を渡る事ができたので南の人はここへ来て取り引きする。
北の人もここへ来て取り引きするという事で、 黄河文明 がここで発展しました。

(田沼隆志)
なるほど。この場所は本当に良い場所なんですね。東西の十字路として。

(宮脇淳子)
でも十字路というだけで、物もいっぱい取れる訳じゃない。

(田沼隆志)
なるほど。

(宮脇淳子)
そもそもが、 交易の文明として中国文明 が始まりました。

■ 中国人の始まりは交易・商売

(田沼隆志)
だから、中国は商売くさいと、悪い意味じゃ無いですよ。

(宮脇淳子)
そうよ。そうよ。中国人は、つまり商売がスタートで、なにもかもがそれがスタートなので
言葉がわからない人たちと。

(田沼隆志)
言葉がわからない人が。

(宮脇淳子)
漢字だけで取引してというのが始まりだっていうので、
 中国人はどこから来たのか は、 あちこちから来た んです。

(田沼隆志)
なるほど。さすが大変勉強になりました。

 <ご参考>