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有本香さんの「強力ありもと」 アイヌ支援新法案 (その2)・・・ 今のアイヌ文化は?アイヌ協会は?

YouTube 【DHC】2019/2/21(木) 有本香×小野寺まさる×居島一平【虎ノ門ニュース】
 強力ありもと(小野寺まさる 前北海道議会議員 ~アイヌ支援新法案~)のコーナーより

解説コメント(一部抜粋)です。

■ 「先住民族」明記 アイヌ支援新法案提出 に懸念

アイヌ新法までの経緯

1899年

北海道旧土人保護法 制定

1945年

第二次世界大戦 終戦

1960年

北海道アイヌ協会再建総会開催

1969年

同和対策事業特別措置法 制定 

1970年

北海道ウタリ協会 「北海道旧土人保護法」廃止に反対 

1971年

アイヌ活動家 中国共産党系記者を北海道平取町に案内 

1974年

アイヌ活動家 中国訪問 

1986年

中曽根康弘 「日本は単一民族国家」発言 

1991年

外務省国連局 アイヌは少数民族と報告 

1992年

アイヌ 国連先住民世界会議に参加 

1997年

アイヌ文化振興法の制定により北海道旧土人保護法 廃止 

2007年

国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」採択 

2019年

アイヌ新法 閣議決定 

※ 差別されたという事は、金になる。アイヌ協会の性格が変わって目覚めた

(有本香)
 1960年代から改めてアイヌ協会として活動を始める。丁度、70年代にさしかかる時に、ここまでに
 どういう事があったかと言うと、
 同和対策事業特別措置法というのが、制定される。同和について色んな支援をしていこうという訳ですが、
 これは、特別措置法ですから、この後、何十年か経って終わるわけです。
 この70年前後からアイヌ協会の活動の方向性が大きく変わって来る。おそらく、同和対策事業特別
 措置法も影響した。

(小野寺まさる)
 実際にですね、1960年にアイヌ協会が再建をしたという1960年は非常に意味があって、1960年に
 同和対策で京都で住宅地区改良事業というのが始まりました。
 それに合わせて、北海道でも北海道不良環境地区改良事業というのが行われる事になった。同じような
 内容ですが、受け皿が無いという事でアイヌ協会にやってもらったらどうだろうかという事で
 国からドンとお金がきた。急にお金がきたので、アイヌの方たちはちゃんとやらないといけないのでは、
 再建をした。

 最初に休眠する前は、我々は地主で土地を取られたら困ると言っていた団体が、1960年になってから
 なーんだ差別されたという事になると色々 お金が貰える らしいぞという事で再建された。
 団体の性格がゴロっと変わって目覚めたという事です。
 

(有本香)
 そこと関連するのが、京都の住宅地区改良事業という一種の同和対策ですね。

(小野寺まさる)
 これがあってから、ちゃんと同和対策を全国的にしないといけないという事で、同和対策事業と
 いう事の法律ができた。

(有本香)
 特別措置法が、1969年に制定される。こういう時代背景がある。まさしく高度成長時代のまだまだ、
 このような事だとか、環境だとかそのようなものには、あまり、配慮の無かった時代です。
 そういったものが、ドンドン出てきた時代に急にアイヌ協会の活動性の方向が変わってくる。

※ 1970年代に入り中国共産党の影響が

(有本香)
 そして、その同じ時期、1971年に中国共産党系の記者が、まだ中国と日本の間に国交が無いのに、
 駐在していたというのは中国当局の完全な工作員とみてもいいような人間です。
 その共産党系の記者と中国当局の人間が北海道の平取を訪問している。
 この時に二人の日本社会党の議員(川村清一参議院議員、岡田春夫衆議院議員)が手引きをしています。
 こういう事があって、この時に平取で色んな意見交換をした。その時、中国側の人間が中国には、
 50いくつかの少数民族がいるが、みんなで差別もなく新しい国作りに頑張っているというような事を
 アイヌの人たちに語りかけている。

(居島一平)
 完全なプロパガンダですね。

(有本香)
 この後、3年後にアイヌの当時の青年、活動家の人たちが中国訪問を実現させる。1970年代というのは、
 中国へ行くのは結構大変な時代にアイヌの人たちが行っているという事は、特筆すべき事柄です。

(小野寺まさる)
 行っている青年たちも共産党の考え方が、どれだけ素晴らしいのか。実際には、少数民族をあれだけ
 虐げたんですけれど、裏に回して素晴らしく保護していますですとか、一緒に生活しているという事を
 ドンドン洗脳していった。
 帰ってきた青年たちは、中国共産党は素晴しいという思考回路に変わっている方が、多々居たので
 この頃からそういう事をやっていたというのは、非常に恐ろしく感じます。

(有本香)
 この頃から中国が、影響を及ぼしていたというのは非常に怖いことですね。

※ 少数民族とは言えない → 少数民族と報告に

(有本香)
 次に、1986年 (中略)

 1886年から1991年までの間に外務省の中でも変化が起きる。91年のアイヌは少数民族だという
 報告以前は、アイヌと言われる人たちは居るけれど、日本における一つの部族であって、この人たちは
  アイヌ系日本人 だという認識なんですよね。

(小野寺まさる)
 実際に、1986年の時に外務省が国連に行ってアイヌは少数民族とは言えないと明言をしている。
 この時まで、どの政治家が日本は単一民族国家だと言っても、その事についてマスコミは一切攻撃も
 出来なかったという状況なんです。
 この後、国連で発言をした後、アイヌ協会は非常に不思議な動きをした。それは、1987年に
 アイヌ語教室第1回目を開催した。

 それまでは、実は昭和49年(1974年)に アイヌ語を自由に操れるという最後の人 がお亡くなり
 なっています。それからは、ずーっと誰も喋れなかった
 アイヌ語を喋っていなかったけれど、少数民族では無いと言われた次の年(1987年)にアイヌ語教室を
 作ったので、アイヌ語が有ったかのような話になって、それが、1991年に繋がって外務省はもしかすると
 アイヌはアイヌ語も持っているし共通言語もあるから少数民族だと言った可能性が十分にあるんです。

(有本香)
 つまり、日本の中でマイノリティーで、別の民族だと言う風に認定するには普通に考えていくつかの
 条件が必要じゃないですか。
 つまり固有の言語を持っていて、それを使って生活しているかどうかだとか、そういう事が必要である。

 そういう事ではありませんとアイヌの人たちは、アイヌ系ではあるけれど、みんな普通に日本語を使って
 日本人とおなじような生活をしていますよという事で1986年の段階では、少数民族という認識では
 ありませんと国連に言っていた訳です。
 それをあたかも塗り替えるかのように、アイヌ語教室が開かれたという事がある。

(小野寺まさる)
 多分、アイヌの団体として、1987年に初めて国連に行った。少数民族で無いと言われてから行った。
 そこで、どういう条件が少数民族だという事をかなり学習して、アイヌ語というのが無いと拙いんだ
 という事で、その当時にそこでアイヌ語教室第1回目が開催された。
 その事は、ほとんど誰も知らずにアイヌ語というのは、ずーっと脈々と続いていると皆さん思って
 いるかも知れない。
 1987年に(アイヌ語教室)第1回目が開催されているという事を皆さんに本当に知ってもらいたい
 思う。

(有本香)
 その昭和49年は、1974年ですかね。1974年に最後のアイヌ語を操れた人がお亡くなりなられた。

(小野寺まさる)
 アイヌ語の方言に関する辞典という事で、知里真志保先生だとか優秀な学者7人が全道を隈なく回って
 辞典を作るという作業の中で 後一人 しかおいでにならなかったのが、 昭和30年代 だった
 その方が、昭和49年にお亡くなりになったというのは間違いない。

(有本香)
 後付けでそういう事をするのは、なんだろうなという事になる訳ですけれど。

 1991年に外務省の国連局がアイヌは少数民族だという報告をしてしまう。ここから流れが、
 がらっと変わって、翌年にアイヌの人たちが国連先住民世界会議に参加して行く訳です。
 ここで単なるマイノリティの民族だというだけじゃなく、先住民という位置付けを目指して
 行く訳ですね。

 1997年にアイヌ文化振興法というのが出来て、旧土人保護法を廃止するんです。この時から
 俗に言われるアイヌの人達への補助金ですよね。そういうものを付けて行く訳です。

 私を含めて誰もアイヌ文化というものがちゃんとあるのであれば、その固有の文化を保存して
 いったり、あるいは、またそれを振興させるというような事に税金が使われたからといって
 文句を言う人は日本においていないと思うんですよ。

 でもそれが、その 補助金ありき の為に何らか作られているようなものであると、それは違うだろう
 いうのがある。
 もう一つは文化とか歴史とかあるいは民族とは何なのという事に関して、学術的にきちんとある種
 証明というのがされて、これは固有の民族であり今もある少数民族であり先住民族あるという事が
 認定されていくならば良いんです。
 これは、明らかに政治的な動きじゃないですか。違和感ありますよね。歴史の買い替えですからね。

※ アイヌ文化振興法はアイヌ文化ではなく、アイヌの方たちの保護の新たな法律

(小野寺まさる)
 アイヌ文化振興法というのは、名前から見るとさもアイヌの文化を守っていきますという法律のような
 イメージがあるんですけれど、これと相殺といいますか旧土人保護法がこの時同時に無くなっている
 という事をよく考えて欲しい。

 旧土人保護法というのは、アイヌの方たちの主張で言えば、押し付けられた法律だと言いました。
 だから、実際にこれを廃止したかったので、廃止出来て本当に良かったと話をされますけれど、
 色々、アイヌ協会の出している資料(アイヌ史)を見るとアイヌ協会は、実際に旧土人保護法を廃止する
 という動きが北海道であって市町会でもその発表をしたんですけれど、アイヌ協会の方では廃止するのを
 反対したんです。
 つまりこれを取っておいて欲しいという事になっていて、実際にこれを廃止する時には新しい我々を
 保護する法律が出来てから廃止する。
 なのでアイヌ文化振興法というのは、アイヌの文化ではなくて、アイヌの方たちを保護する新しい
 法律だという風に考えた方が良い。

(有本香)
 アイヌの人たちそのものを厚く保護するという意味ですよ。文化振興法と言ってもちょっと意味合いが
 違う。

※ アイヌ文化振興は、参加している人たちの利益を生む事業ばかり

(小野寺まさる)
 私は実際にアイヌ文化振興の財団の方でこの事業をやっていたんですけれど、色々調べると本当に
 おかしなお金がいっぱい流れていりる。
  必要以上にお金を貰っているですとか、 二重取り三重取りは当たり前ですとか、自分の生活に使うものを
 さも事業で使ったように パソコンを買うですとか、そういう事がずーっと続けられていた。
 実際には文化の振興ではなくて、そこに参加している人たちの 利益を生む事業 ばかり行われているのは、
 ひとつ特徴としてありました。

(有本香)
 その事を道議会で、たった一人追求し続けたのが、小野寺さんなんです。その当時は、自民党の道議会
 議員でしたから、自民党から相当止めろと。

(小野寺まさる)
 自民党からもアウェーでしたね。

(有本香)
 アウェーなんだけれど、一人追求を続け、その時は相当、道内の左派勢力から個人的な攻撃を受けて
 いたのを私も知っています。

※ 今のアイヌ文化のほとんどは、1970年・80年・90年代が第1回目

(居島一平)
 余談的にひとつ伺いたい。私、控室で伺ってビックリしたんです。(中略) シャクシャインの銅像が
 建ったという事が、それも1980年代に入ってから。

(小野寺まさる)
 そうなんです。実際に、シャクシャインというのはアイヌの英雄で、我々がその英雄をずーっと毎年毎年、
 法要祭をしていた考えられると思うんですが、1980年代(最後に1969年と訂正)になってから第1回目が
 行われた
 それは、税金が措置されることになる。銅像も建てた。後はそこでみんなで集まって、そのお金を
 バァーと。踊り手には、一万円出る。そこでワァーと 金の成る木 になってしまったので、そこから
 やっている。

 ずーっと引き続いていた文化ではないものを、さも昔からやっている文化にしている。
 今のアイヌ文化はほとんどそうです。1980年、70年、60年から。60年は無いですね。
 70年、80年、90年に第1回というのが、ずーっと並んでいます。
 

(居島一平)
 じゃー、ずーっと地元で脈々と語り継がれたり、崇め続けられたりという訳では無いですね。

(有本香)
 シャクシャインの戦いというのも本当はちょっと違ういうもの学者から言われている。その辺も歴史が
 ちょっとおかしくなっている訳ですよ。

 後、その振興法ですけれど、この振興法を決めた時に付帯決議として、アイヌの人たちの先住性と
 いうものが認められると付帯決議までしている。
 これが、その後に繋がってしまう。

 さらにもう一歩いって、2007年に国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択される。
 この翌年にこの大事な事が、年表から抜けているのは、痛いです。

(小野寺まさる)
 抜けているのは、私が説明しようとしたんです。2008年にこれを受けて、国会でアイヌを先住民族と
 するという決議が通りました。
 実際には、2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」というものが出ているので、この国会で
  決めた決議の中には、2007年の国連の宣言を十分に勘案して、これから更にアイヌ政策を進化させ
 ましょうのような事を書いてある。
 なので、新法というのは、この流れに従うと2007年の国連の宣言、そこには、先住民族にこういう権利を
 与えなければいけないというのが、書いてあるのでこれをアイヌ新法というのは更に発展させていって、
 そういうものにアイヌの方々はしていこうとしているのが、この流れで非常によくわかります。

(有本香)
 文化振興法の時に、また、するっと 先住性 という事を入れた。これには、政治的意図が十分にある
 先週お伝えした学術論文の中でもアイヌの人たちが国際的な活動をする中で国連に行ったり、中国とか
 色んな所の人達と交流する中で 目覚めた という事が書いてある。
 目覚めてそれで、自分たちは先住民族である。その権利を取り戻そうという運動に結びつけたと
 言っている。何をか言わんやというところです。

 2008年のこの時は、自民党の福田政権で、国会は捻れていて自民党があんまり主体的に色んな事が
 出来なくなっていた。
 この時の衆議院本会議(平成19年10月3日)で、アイヌの関連質疑をやっている。アイヌ民族を
 先住民族とする事を求める決議です。これは全会一致で決まっている。

 私、色んな国会議員に聞いたんですが、いやぁー記憶が無いなあー。多分賛成したと思うみたいな感じで。
 だから、みんな自分の国の歴史に関して余りにも拘りが無さ過ぎる。
 この時に実は、質問者として中心にたっていたのが、何とあの 鳩山由紀夫 さんなんです。
 いきなり、鳩山さんが
 「人権は国際社会の不変的な課題です。アイヌ民族のみなさんが、20年以上も国連で主張してきた
  悲願の先住民族の権利に関する国連宣言が採択されました。画期的な事であります。
  しかし日本政府は未だにアイヌ民族を先住民族とすら認めていません。
  来年は北海道洞爺湖サミットが開かれます。この環境サミットの時に自然とともに生きる知恵を持ち、
  国連で先住民族と認められているアイヌ民族を日本政府が認めていないことを国際社会にどう説明
  するんですか。
」と迫っている。

 「国内と国外で対応を使い分けるなどという二枚舌はやめようじゃありませんか。総理の考えを
  伺いたい。
」と迫っているのが、鳩山さんなんです。

(居島一平)
 「日本列島は、日本人だけのものじゃない。」とおっしゃった鳩山さんの面目躍如たる。

(小野寺まさる)
 そもそも国連で先住民族と認められているというのが嘘で、ここが二枚舌なんです。

(有本香)
 国連がそんなことを別に認める機関じゃない訳ですからね。

(小野寺まさる)
 嘘をついていますよね。

(有本香)
 その会議に出席していたという事をこう言う風に言い換えている訳ですけれど、今や鳩山さんと
 いう人がどういう人か日本国内でバレていますからいいんですが、この当時はこういう事をやって
 おられた訳です。北海道選出の議員ですから。

(小野寺まさる)
 実際に国のほうでは国連で先住民族の定義が無いので、アイヌを先住民族だと認められないと
 ずーっと言っていた。
 それは次の年の国会決議の6月6日の2週間前まで、アイヌは先住民族では無いと明言していたのに
 急に6月6日にホッと先住民族になってしまった。何の議論もなく。国会で勝手に決めてしまった。

※ 先住民族の定義が無い。アイヌ民族と認定する定義もハッキリしない

(有本香)
 国連が先住民族は何かというのをはっきりしきれない訳です。 (中略) 
 日本も変な話で国会で決議して、今回の新法を通そうとしているにも関わらず、先住民族って
 何ですか?という定義がハッキリしない。

 しかもアイヌ民族というけれど、今現在、日本の社会でどういう人をアイヌ民族と認定するん
 ですかという定義もハッキリしないで変じゃないですか。

 しかもアイヌ協会という所に 認定 が丸投げされている。聞くところによると今度新しく白老に
 巨費を投じて造る施設がありますね。そこの業務委託ですか。そこを管理する業務委託は、
 一つの団体に決められちゃうという事が法律にうたい込まれる。
 こんな利権のわかり易い構図を作るというのは、どういう事なんだろう思う。

 もうひとつあるんです。アイヌの問題からご紹介してきた事で言うと
 アイヌ協会は、いくつか不正があって小野寺さんが告発しているが、何故か不思議と刑事沙汰に
 なっていない。

※ アイヌ協会の不正と幹部の北朝鮮との関係

(小野寺まさる)
 (刑事沙汰に)なっていない。非常に不思議ですね。
 実際に僕は、何十件、何百件も不正を見つけたんですけれど、ひとつ言うと
 北海道アイヌ協会の副理事長がその不正に関わっていた。実際にはアイヌ語教室をやるという事で
 いくつかの教室があったんですけれど、その講師は実は私はそんなものは引き受けた事が無いし、
 アイヌ語教室をやった事が無いという事で講師に払うお金や教室代だとか一切合切お金が消えていた
 この同じような事がいくつもあった。
 釧路支部の事業だったんですが、釧路支部の支部長兼副理事長だった。この方どうするんだこのお金は?
 アイヌ協会としては、その副理事長をクビにしました。クビにしたんですけれど普通足りないお金は
 アイヌ協会に返さなければいけない。
 実際には刑事事件として告訴しないといけないという話だったハズなんです。実際には、その人は
 辞めただけでお金を返した形跡もなければ、あやふやのままになっている。
 実際に私が聞いた話では、副理事長が辞める時に、他の三役が訴えるぞ。と言ったら、
 どうぞ訴えてくれ。俺は全部喋るからと言って、自分たちも同じような事をしているという事で
 何の問題が起きても誰も責任を取らない。

 その時の理事長も他の副理事長もずーっと役員として居座っている。

(有本香)
 その中の不正に加担した幹部の方が、アイヌ活動以外にどんな活動を他でしているかと言うと、
 朝鮮学校の無償化とかの集会にどちらかと言うと壇の側の中に並んで喋る方としていたりする訳です。
 それから朝鮮学校で授業をやったりもしています。

(小野寺まさる)
 後、今日本に 金正恩著作研究会 というのが、大阪でも札幌でも出来ている。それを立ち上げる代表の
 一人にアイヌ協会の現職の副理事長が名前を連ねている
 その方は、国の審議委員のメンバーでトップが菅官房長官でその下に国会議員がいて、ずーっと審議委員が
 並んでいる中の一人に副理事長として出ている。その方が、金正恩著作研究会の立ち上げの代表の一人だ。

(居島一平)
 金正恩、彼の著作があるんですか?

(小野寺まさる)
 わからないですけれど。

  (中略)

(有本香)
 驚く話ばかりなんですけれど (後略)

(小野寺まさる)
 先ほどの シャクシャインの法要祭 ですけれど、 1969年 が第1回目
です。

(居島一平)
  69年、昭和44年 。最近と言えば最近ですね。
 余りにも唖然とする話の釣瓶打ちに (後略)