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有本香さんの「強力ありもと」 アイヌ支援新法案 (その1)・・・アイヌの人たち自ら日本人だと言っていた 

YouTube 【DHC】2019/2/21(木) 有本香×小野寺まさる×居島一平【虎ノ門ニュース】
 強力ありもと(小野寺まさる 前北海道議会議員 ~アイヌ支援新法案~)のコーナーより

解説コメント(一部抜粋)です。

■ 「先住民族」明記 アイヌ支援新法案提出 に懸念

(有本香)
 閣議決定があり、法案が国会に出されたニュースですが、議員立法ではなくて、閣法と業界用語的に
 いうわけで、内閣から出されている法律ですから、ほぼこのまま通ると思います。 
 いろんな事で大騒ぎをする野党議員もメディアも多分これには、一切何の文句も言わないでしょうから、
 ひとっ欠片のニュースにもならないまま、すんなり今月末に衆議院を通ってしまうんじゃないかと
 懸念があって、このニュースを取り上げる。

日本国憲法第十四条

〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕

第14条
  すべて国民は、法の下に平等であつて、
  人種、信条、性別、社会的身分
  又は門地により、
  政治的、経済的又は社会的関係において、
  差別されない。

2  華族その他の貴族の制度は、
  これを認めない。

3  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、
  いかなる特権も伴はない。
  栄典の授与は、現にこれを有し、
  又は将来これを受ける者の一代に限り、
  その効力を有する。

(有本香)
 憲法第14条1の内容を頭に置いて、このアイヌの話をしたい。
 次にイベントのチラシを。去年のものですが。

 イベントのチラシの記載内容を表記(画像無しの為)


  (2018年)7・16天皇出席の
  「明治・北海道150年」式典反対!
    関西集会へ参加を!

    (略)
    
   講演 アイヌ民族と北海道150年
   講師 木村二三夫さん

    (略)



   共催 参戦と天皇制に反対する連続行動
   「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!

(有本香)
 このイベントを主催しているのは、俗に今言われているこのアイヌ新法が成立する事を
 目指してした人たち。(中略)
 講師に招かれている木村さんは、 アイヌ協会 の関係者です。(中略)
 非常に強烈なイデオロギーを感じさせる人たちが、 アイヌ新法 を強く望んでいる

(小野寺まさる)
 天皇制に反対という発言で、本当に日本人か?と思いますよね。

(有本香)
 憲法なんか、蔑ろの人たち。日本国憲法第1条読んだことありますか?という話ですから。

(居島一平)
 「北方領土の日」も反対なんですね。

(小野寺まさる)
 北方領土は我々が先住民族だった。我々を抜いて、国は北方領土の交渉をしている。けしからん。
 我々を抜いているという意味での反対です。

(居島一平)
 はぁー!凄い論理ですね。

(有本香)
 あたかもアイヌという人たちに主権があるかのような言い方ですよ。

(小野寺まさる)
 本当は、我々が交渉対象なんだという話。

(有本香)
 我々のものだという話です。そういう論理にすらなってしまっている。
 それで、今までの(アイヌ新法までの)経緯を整理しました。

アイヌ新法までの経緯

1899年

北海道旧土人保護法 制定

1945年

第二次世界大戦 終戦

1960年

北海道アイヌ協会再建総会開催

1969年

同和対策事業特別措置法 制定 

1970年

北海道ウタリ協会 「北海道旧土人保護法」廃止に反対 

1971年

アイヌ活動家 中国共産党系記者を北海道平取町に案内 

1974年

アイヌ活動家 中国訪問 

1986年

中曽根康弘 「日本は単一民族国家」発言 

1991年

外務省国連局 アイヌは少数民族と報告 

1992年

アイヌ 国連先住民世界会議に参加 

1997年

アイヌ文化振興法の制定により北海道旧土人保護法 廃止 

2007年

国連で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」採択 

2019年

アイヌ新法 閣議決定 

※ 1899年に制定された北海道旧土人保護法は、差別法では無かった

(有本香)
 さっくり言うと、
 明治時代に 北海道旧土人保護法 というのがあった。今、この字面を見ると何かなーという気がするかも
 知れませんが、北海道において、旧土人というのはアイヌと称されるような北方の部族の人たちです。
 新土人というのは開拓の為に行った人たちという言い分けなんです。
 昔は、 土人 という言葉は、差別的な意味合いではなく、土着の人という意味です。
 そこで生まれ育った人という意味で使っていた。

 アイヌ新法までの経緯の中で、大きな変化があるのは、1960年代~70年代なんです。
 その時に土人という言葉も変化する。この頃を境に辞書に土人という言葉は、差別的な意味合いが
 含まれているような記述が加わってくる。
 ですから、私はおそらく70年代くらいというのはある種のポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)
 的なものの始まり。日本においては言葉狩り、そういった事が始まってきた年代でもあって、
 この頃から土人法も名前の上でどうなんだ?というような話が盛んにされるようになってくる。

 旧土人保護法というのは、名前から誤解されたり、あるいは、一部の活動家の人が、これはアイヌの
 人たちに凄く同化を強制したという酷い法律だという印象操作をしているけれど、実際は、アイヌの
 人たちを守ろうとした法律だということが、帝国議会の議事録なんかを見ると解るんです。
 このままだとアイヌの人たちは、消滅してしまうから、守らないといけないという趣旨でスゴイ議論を
 交わして、この法律を制定している。

(小野寺まさる)
 更にこの法律が、欲しい。我々は、非常に大変な生活をしているので、是非、制定してくれということで、
 アイヌの人たちが東京の国会に何度も陳情に行っている。
 なので、アイヌの人たちは、これは我々に押し付けられた法律で、これで相当な搾取をされて、アイヌの
 文化も奪われてという主張は、全く逆だというのを断言できる。

(有本香)
 この法律があったことによって、同化を強制されて、搾取をされてというのは、全然違っていた。
 この時代というのは、日本は近代化を推し進めていましたから、今と時代背景が違います。
 その中でアイヌの人たちは貧しかった。このような人たちに貧困とか、教育が無いという状況を
 まず解決して差し上げないといけない。
 もう一方で、でもこのまま放っておくとアイヌという人たちが居なくなってしまうというのは、
 まずいじゃないかというやり取りもしている。

(小野寺まさる)
 ここにあるのが、 アイヌ史 という 今のアイヌ協会 が出したアイヌの歴史なんですが、これには
 ちゃんとそんな事が書いてある。
 自分たちで出したこういう文書に旧土人保護法というのは、そういう意味合いで書かれていた帝国議会の
 議事録も全部ここに入っているのに何故、こういう書籍を出しておきながら、実は、旧土人保護法は
 差別法だった。大変な目にあったと言っているのか僕はちょっと理解できないということなんです。

※ 戦後のアイヌ協会の活動は

(小野寺まさる)
 歴史認識が多くの人たちは違うと思うんですが、アイヌの人たちというは、土地を貰ったのでかなり
 大きな農地を持っていた。
 アイヌの人たちは、そこを耕作しないで、日本人に貸していてその地代を貰っていたという生活を送っていた。
 (アイヌの人たちは)地主です。大地主です。
 ただ、ここで農地改革法があって、これをやられると我々の土地が奪われるので、今の生活がままならない。
 だから、アイヌの土地だけは除外して下さいという風にマッカーサーまでにお願いしている。

(有本香)
 つまり、農地開放の対象にしないでくれ。つまり地主であったアイヌはそのまま自分たちのものを。
 地主は、農地解放で土地を取り上げられましたからね。

(小野寺まさる)
 この前までは、アイヌ協会というのは、そういう活動をやっていた。ただ、農地改革法が成ってしまったので、
 結局は農地を取り上げられた。なので活動する目的が無くなってしましたので、休眠に入った。
 1960年に急に目覚めなければいけないという事で再建総会が開催された。

※ 戦後、アイヌの人たちは我々は日本人だと言っていた

(有本香)
 戦後に、マッカーサの所に農地解放の対象外にしてくれという陳情とは別にもう一つ資料がある。
 このアイヌ史の中のコピーですけれど、
 あるアイヌの幹部の人がGHQの人達と会話をしている。GHQと会話をした時のことを自分が
 しゃべっている。そこでこういう事を言っている。
 GHQの担当官と自分たちだけで通訳を入れて話している。

 そこでGHQ側から「あなたは、日本人か」という風に聞かれた。あるいは「特別なアイヌ人か」と。
 つまり、通常の日本人と違う特別なみ民族=アイヌ人かと聞かれて、そうして、向こう(GHQ側)が、
 「独立するのであれば、今ですよ。」と言った。
 要するに終戦後にあった第三国人と同じ別の扱いの「今ですよ」と言った。「アイヌ人が、独立する
 のであれば、今ですよ
」と言う。

 その時のをそのまま読みますよ。
 「何回集まっても我々(アイヌの人たち)は、戦争に負けたと言いながら、アイヌと言ってみんなに
 馬鹿にされながらであっても日本人なんだ。内地をみて、九州からみてこの蝦夷、熊襲から見てもね
 我々は日本人に違いないんだと、そういう考えでみんな話し合ったもんだから我々は 日本人 です
 特殊な人種ではありません
」と言った。

 この方は同じように
 「早くにも倭人(ヤマトの人間)と結婚しているから、俺はなんぼか倭人の系(血を引いている)を
 引いているもんだから、俺を見てその辺を歩いている人をみたら違わないだろう。
 とスウィング(QHQのジョセフ・スウィング少将)に言った。俺は日本人ですよと言った。

 終戦後には、こういうやり取りをしている。

 今、聞くとアイヌの人たちも明治の時代から色んな苦労もされながら、日本人として生きて来られていて、
 あの大変な戦争を戦った。
 終戦を迎えて、でもやはり日本人なんだと言っていた訳です。アイヌだと馬鹿にされたというのは、
 巷ではあったと思いますが、私は先人たちは、ヤマトの人間もアイヌ系の人たちもみんなが一緒に豊かに
 なろうと努力してきたと思う。
 それが、今になって全然違うストーリーになっている。

(小野寺まさる)
 この発言の中で「蝦夷から見ても熊襲から見ても・・・」と、熊襲の方たちだって日本人なんだ。
 だから、我々も日本人なんだとこの時点で言っているという事と、スウィング少将が、
 その話の最後に、「おまえらこれからは日本人と喧嘩を絶対にするな。」という風に念を押された。
 それはよく考えているな。インディアンの事もあったアメリカならではの発言なんだと思います。
 それを言われているにも関わらず、今、喧嘩しているみたいなものです。あの終戦直後の話は、
 どうしたんだ。
 だから、私はこの当時のアイヌ教会の役員は、本当に正しい考えをしていて、真の日本人だったんだなと
 思います。今の役員はどうなんだろうなと逆に思います。

(有本香)
 ここに出てくるんです。向こうのスウィングさん(スウィング少将)が、だぁーとみんなの顔を
 見て唸った。(日本人だという自分たちを見て唸った)
 この時一言いったな。
 「今、独立しないで後でね シャモ(日本人)と喧嘩するなよ と。あなたたちにそれだけは、俺たちの
 言葉で言っておく。

 だから、この時のこの言葉は何処に行っちゃったんでしょうねという非常に悲しい感じなんです。

 その後、1960年代から改めてアイヌ協会として活動を始める。

1960年以降については、(その2)に続く


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コメント: 1
  • #1

    ななし (金曜日, 03 5月 2019 13:20)

    アイヌ特別法をアイヌ限定にするのは差別?自称アイヌさん、DNA鑑定お願いします。このDNAは大陸系では?アイヌでないなら名称をアルタイヌ特別法にすべき。えっ???どこから来られたの??
    音楽家 女優 俳優 医師 政治家 アイヌは日本人です。今や、自立してますよ。
    アメリカ系とか中国系とかアフリカ系とかいろんな日本人がいる時代です。