What's time is it now?

 facebook 
  関係サイト

 詫間電波工業高等専門学校
 電波通信学科2期生同期会

  サイト・ブログ
  リンク
レーダー・ナウ
紫外線情報

黄砂情報
花粉情報

PM2.5分布

*.以下、管理人専用の項目です。

  パスワード保護をしています。

虎ノ門ニュース・江崎道朗さん再び 日本『敗戦革命』の危機 ・・・ 戦争に負けたから平和になったは、嘘!

YouTube【【DHC】2019/01/29(火) 百田尚樹×江崎道朗×居島一平【虎ノ門ニュース】
火曜特集 江崎道朗さんの 日本『敗戦革命』の危機 より

画面情報とコメントの一部抜粋です。

(MC 居島一平)
 昨年末(12月4日)に江崎さんがゲスト出演された時に、ソ連が共産革命の為に作り上げた共産主義
 革命ネットワーク、いわゆるコミンテルンが日米海戦にいかに関わっていたのかという事を徹底的に
 解説して頂きました。

   (中略)

(MC 居島一平)
 重要なのでこれをおさらいしましょう。
 これまでは、日本では具体的な証拠がない陰謀論だ等として、ほとんど実態が解らなかったコミンテルン
 の動きが政府が出した証拠として研究され歴史の真実が見直されているという話を伺いました。
 それが、こちらです。

 アメリカ政府内のソ連のスパイがモスクワとやり取りした秘密通信

  ベェノナ文書

■ ベェノナ文書で歴史の真実が暴かれる

(江崎道朗)
 1995年、戦争が終わって50年でアメリカは公文書を公開するルールがありまして、その政府の機密文書、
 このベェノナ文書も公開された結果、いわゆるルーズベルト民主党政権の中にソ連のスパイがいる事が
 裏付けされてしまった。

   (中略)

(江崎道朗)
 (ヴェェノナ文書は)暗号文書を英語に直して解読したもので、なおかつ、コードネームとか引用を
 使っている。例の件について、AついてBに連絡せよという風に書いている。
 コードネームといって、本名を使っていない。ちなみにルーズベルト大統領とかにも全部コードネームが
 付いていて、ルーズベルト大統領は、キャプテンと言われています。
 コードネームのキャプテンは誰なのかという事を調べて、確認する作業からずーっとアメリカの
 情報機関がやっている。
 それの成果が少しずつ出てきているというのが、この20年で漸くという話です。

(MC 居島一平)
 日本側の人物が尽く特定できたら、激震が走りますね。

(江崎道朗)
 その為には、物凄く時間がかかると思います。   (以下、略)

(MC 居島一平)
 虎の門ニュースの流行語としては、冒頭でちらりとこのヴェノナ文書と一緒に是非これを取り
 上げたい言いましたが、デュープスという言葉で盛り上がった訳です。
 改めて、デュープスという言葉の意味ですけれど、これもお浚いしておきましょうか。

■ 自覚なく共産主義に染まるデュープス

(MC 居島一平)
 共産主義者に都合よく操られてしまうお馬鹿さんという意味でしたか。

(江崎道朗)
 そうです。

   (中略)

(江崎道朗)
 前回、反響があったらしいので、デュープスって僕が勝手に
 言っているのでは無くて、アメリカでこういう「DUPES」と
 いう本がありまして、 (中略)
 PAUL KENGOR(ポール・ケンガー)が、デュープスと言って、
 ロシア革命から共産主義以降にアメリカでソ連共産主義、
 コミンテルンに協力した人は戦前・戦中にいるだけではなく
 戦後もずーっとソ連の工作に操られて、ソ連の利益の為に
 頑張っているアメリカのバカな政治家、学者、芸能人が
 こんなにいますよという本です。

(MC 居島一平)
 気になってしょうがないのは、チャップリンも入っていますね。

   (中略)

(百田尚樹)
 実際には、チャップリンとか、ボガートというのは共産主義者では無かったんですが、実は、
 デュープスだったんですね。

(江崎道朗)
 要は、ソ連コミンテルンの工作に上手く操られていた人たち。百田先生がおっしゃったように
 マッカーシズムでデュープスと共産主義者をゴッチャにして両方摘発した。
 だけれど、デュープスというのは、本人は自覚が無いんです。

(百田尚樹)
 実際には、信念を持った共産主義者、共産党員では無い。だから、自分は善良なアメリカ人だと
 思っているが、実は裏で共産主義者に操られた操り人形なんです。
 本人は、操り人形だという事が判らない。
 マッカーシズムは、その操り人形も共産主義者だとして追放した。

(江崎道朗)
 追放したそこが、問題だったんです。その反省を踏まえた上で、これ(DUPES)は、2010年に出た
 本なのですが、ベェノナ文書を含めて自分たちがやった摘発の間違い。
 要するに共産主義者とデュープスたちの区別をちゃんとした上で、自分たちは、デュープスにならない
 ようにしましょうねという本です。
 その為には、賢く勉強しておかなければ、共産主義者に上手く操られておバカさんになりますよ
 という本ですね。
 アメリカの保守派には、物凄く売れた本ですね。

   (中略)

(MC 居島一平)
 前回の火曜特集を踏まえまして、敗戦後の日本でコミンテルンがいかに暗躍したかを追って参りたい
 と思います。本日のテーマ火曜特集は、こちらです。

 日本『敗戦革命』の危機

(MC 居島一平)
 日米開戦に成功し、日本の敗戦という形まで漕ぎつけたソ連(ソビエト連邦)が次に狙った段階が、
 日本の敗戦革命という事ですよね、江崎さん。

(江崎道朗)
 そうなんです。これはよく、先の大東亜戦争が終わったら、日本に平和が訪れましたみたいな言い方
 じゃないですか。
 戦争が終わって、これで平和になった?いや違うんですよ。
 戦争が終わった、その後本格的に敗戦革命と言って日本の共産革命の危機があったんだという事を
 戦後の歴史教科書は全部無視しているので、これはフェアじゃないと思います。
 何故、自民党がこの憲法改正を含めた事を一生懸命言ったのかというのも、敗戦革命に対する危機感。
 日本の自由と国柄を守る為にも共産主義と戦わないといけないというのが、自民党の結党の精神なので、
 その辺の経緯を改めて思い出す。再確認していく必要があるかなというのが、僕の問題提起ですね。

(MC 居島一平)
 百田さん、この点については、『日本国紀』の中で・・・

(百田尚樹)
 書きましたね。実際にはあの時はコミンテルンじゃなくて、コミンフォルムという名前に変わって
 いましたが、実質はコミンテルンです。
 『日本国紀』にも書きましたが、日本が昭和26年から27年にかけて、サンフランシスコ講和条約で
 主権を回復しましたね。
 この時にもコミンテルン、当時はコミンフォルムですけれど、コミンフォルムが何とか独立を阻止
 しようとしましたよね。

(江崎道朗)
 全面講和と言って、ソ連と組むべきだ。ソ連と組んでソ連のスパイ、工作員が日本にドンドン入れる
 ようにすべきだという事を言っていた。

   (以下、略)

(MC 居島一平)
 実は、日本ではほどんど知られていない日本が共産主義国になっていたかも知れない運命の分岐点
 いうのがあるんですね。
 それが、こちらなんですね。

(百田尚樹)
 危ないところでしたね。

戦後日本の最大の分岐点

 1947年2月1日

 二・一 ゼネスト

(MC 居島一平)
 昭和22年ですね。ゼネストというのは、ゼネラル・ストライキの略で全ての労働組合が、ストライキを
 実施する事ですが、これが非常に危険だったと。

(江崎道朗)
 当時ですね。占領軍が、日本が戦争で負けた後入り込んできて、軍隊が解散され、治安部隊がほとんど
 無くなって、治安維持法も無くなっている。
 GHQの中にいるニューディーラーという共産党のシンパ達が、日本共産党や共産党系の労働組合に
 煽り立てて、食い物が無い、尚且つ、マスコミが無いですよね。だから、情報も無い。
 食い物が無い中で自分たちが飢えて死なない為にゼネラル・ストライキを興して、吉田茂内閣を潰せば
 良いんだと煽りまくったんですね。
 国家の機能が麻痺したところで、一気に権力を握るこのやり方は、敗戦革命というソ連コミンテルンの
 常套手段なんです。
 これで、他の国つまりハンガリーとか、ポーランドとかチェコとかみんなやられてしまった。
 今のムン・ジェイン(文在寅)政権が、軍と治安機関を潰してメディアを握って、教職員組合に反日・
 反米教育をさせて結果的に(権力を)握ってしまおうとする。彼らのやり方は、何処の国でも一緒なん  
 ですね。
 そういうような事を当時の昭和21年、22年の時にそういう危機があって、ひょっとしたら日本も中国や
 北朝鮮みたいになっていたかも知れない。

(百田尚樹)
 アメリカでは、共産党は非合法ですから、共産党は認められません。ところが戦後の日本はアメリカ軍が
 主力のハズの占領軍がやって来て、共産党を認めてしまった。
 これ、凄くおかしいですね。

(江崎道朗)
 おかしいどころか、共産党を認めたどころか、共産党の活動を全面的に支援する。それだけではなく、
 本にも書いたんですが、共産党の親玉の野坂参三を首班とする連立政権を作るべきだという事に
 GHQの一部は動いていたんです。
 ひょっとしたら、共産党とリベラル野党の連立政権が出来て、日本は共産党国家になっていたかも
 知れないという状況まで、GHQの中にいるニューディーラーたちがやっていた。
 それに対して吉田茂たちが懸命に立ち向かっていたんですね。

 吉田茂先生、麻生副総理のお祖父さんの回想録、『回想十年』という本があるんですが、この中で
 「二・一 ゼネストを阻止出来なければ、日本は共産革命になっていた」。本当に危ない状況だった。
 当時の労働大臣の吉武先生の回想録も載っている。その中で、同じように「二・一 ゼネスト実行を
 阻止出来たお陰で、日本の破滅の危機は回避出来た
」。
 これ、多分、麻生副総理読んでいるかなぁー?
 (この後、江崎さん・百田さん・居島さん3名とも爆笑)
 
 (以下、略)

(MC 居島一平)
 二・一 ゼネストに話を戻したいと思います。何故、日本は二・一 ゼネストを回避出来たのか。また、
 それが実行される直前まで行ってしまった理由は、当時どんな状況だったのかという事を見てまいり
 たいと思います。
 まずは、1945年(昭和20年)敗戦後乗り込んで来たGHQが、日本を解体する為に行った主な
 政策はこちらです。

占領政策という名の日本解体工作

 ▶ 対日指令

 ▶ 日本共産党幹部の釈放

 ▶ 公職追放

▶ 人権指令

▶ 神道指令

(MC 居島一平)
 順を追って参りたいと思います。江崎さん、まずはこの対日指令というところからお伺いしたい
 のですが。

(江崎道朗)
 要はGHQは、一方的に日本政府に対して様々な命令を出した。
 その命令の中には、例えば既成政党の解体だとか、公職者の退廃だとか、陸海軍・日本の軍の解体、
 経済界・教育界から軍国主義者と言われている人たちの追放があった。
 後ですね、ウォーポテンシャルズという言い方をするんですが、軍需産業の解体。要するに軍需産業が
 なければ軍隊は維持出来ない。軍需産業を壊してしまえば、日本は軍隊をもう持てなくなる。
 この一環の中でよくスパイ防止法を作れという話がありますよね。戦前のスパイ防止法の名前を
 軍機保護法と言うんです。
 軍機保護法という法律があるんですが、戦前のこの法律もGHQによって潰されて、こういうのも全部
 失くされてしまった。
 いわゆるスパイを取り締まったり共産主義を取り締まったりするやつも全部GHQによって失くされて
 しまった。
 それの結果、もう共産主義の浸透やスパイの活動に何も出来なくなってしまった。

   (中略)

(MC 居島一平)
 軍機保護法等を廃止するように命じたのが、この人権指令に当たる訳ですね。この中に治安維持法や
 思想犯保護観察法が入るですね。

(江崎道朗)
 その人権指令の原案を作ったのが、ハーバート・ノーマンです。ハーバート・ノーマン自身は、
 イギリス共産党員。カナダの外交官だったんですが、イギリスで共産党に入ったと言われている。
 マッカーサー元帥のアドバイザーとしてGHQのメンバーに入ってきて、初期の対日占領政策の
 基本路線を作った男だし、東京裁判の基本的構図を作ったのもこのハーバート・ノーマンです。
 本当に上手くアメリカは、ソ連コミンテルン、コミンフォルムですけれど、コミンフォルムの
 人たちに操られてしまったと言わざるを得ないですね。初期の話ですけれど。

(MC 居島一平)
 アメリカという国自体が、一瞬、デュープスになっていた感じですよね。

(江崎道朗)
 その通り。一瞬、デュープス。その通りです。

(百田尚樹)
 ルーズベルトその者が、デュープスみたいなところがありますね。

(江崎道朗)
 この本(DUPES)でも、ルーズベルトはデュープスだという事で載っている。アメリカの保守派の
 中ではルーズベルト、つまり、日本を戦争に追い込んだ奴=ルーズベルトは、デュープスだという風に
 捉えるような歴史認識が出てきている。

(MC 居島一平)
 続いては、日本共産党幹部の釈放がありますが、これは。

(百田尚樹)
 戦前、刑務所に入っていた連中が大手を振って出てきましたね。

(MC 居島一平)
 ちなみに、この時に釈放された共産党員が受刑者150名。公判が継続中の人物が52名だった。その中に
 徳田球一、志賀義雄など当時の共産党の幹部が含まれていた。予防拘禁者約20名にも及ぶ。

(百田尚樹)
 一方で公職追放がありましたね。戦前の日本の愛国者、保守的な人物が、政財界あるいは教職員、マスコミ
 から全部で20万人も追放されてしまった。これで所謂、日本の屋台骨が無くなりましたね。

   (中略)

(百田尚樹)
 20万人も公職追放されるということは、当時、GHQの職員は100人以下でしょ。そういうメンバーが
 20万人も指示出来る訳がないんです。専属でやっていても無理ですよ。20万人も追放したということは、
 書類があって(中略)時間が絶対に無い。そうすると日本人の相当な協力者がいないと無理なんですよ。

(江崎道朗)
 やり方としては、例えば(中略)産経新聞購読者の名簿を手に入れて、産経新聞購読者は軍国主義
 だから追放みたいな事をやった。

(百田尚樹)
 後もう一つはね、公職追放もやったんですげれど、同時にGHQは焚書をしていますね。7,000冊の
 本を完全に燃やし尽くした。アメリカ人が日本語を読める訳がないんで、(中略)
 この本は良くない。それは、誰が言ったのかという事です。

(江崎道朗)
 あれは、西尾幹二先生が(著書で)紹介されていますが、東京大学の学者たちがかなり協力した。

(百田尚樹)
 東京大学文学部が、相当協力したと言われている。
 公職追放、教職員追放あるいは焚書に当たった相当な日本人がいるハズなんですが、これが皆、
 戦後の闇に紛れて隠れましたよね。これを絶対にあぶり出さないといけない。

(江崎道朗)
 そういう事があぶり出されるのが嫌なので、保守系の議論をなんとしても潰した。自分たちの悪事が
 暴かれるのが、嫌なので。
 だから逆に言うと戦後の占領政策の闇みたいなものを徹底的に暴けば、日本が何でこんなにおかしい
 状況だという事が解ってくる。
 そういう意味では、戦前も大事ですけれど、戦後の占領とかのところをもっと、みんな理解を深めると
 非常に良いと思います。

(MC 居島一平)
 犯罪捜査の犯行の手口を解明しないといけない訳ですものね。

(百田尚樹)
 ここは、もっと話をしたいんですが、時間が無いので次に行きましょう。

(MC 居島一平)
 GHQは日本解体の為に様々なことをやった訳ですが、一枚岩だと思われていたそのGHQが、
 実はそうでは無かった。それが、こちらです。
 ニューディーラー派と反共産主義の派閥があって、それが鋭く対立した状態でマッカーサー元帥に
 それぞれの立場から進言していた。

GHQ内部での派閥

 マッカーサー元帥

進言

進言


ニューディーラー
(ソ連のシンパ)
   
代表:ハーバート・ノーマン

   


反共産主義の一派


代表:チャールズ・ウィロビー

 

■ GHQ内部でニューディーラーが暗躍

(江崎道朗)
 ニューディーラーというのは、ルーズベルト民主党政権の支持者たちをいう。この人たちはリベラル
 と言われている人たちですが、事実上、ソ連のシンパたちのグループで、これは政権側の人たちです。
 野党は、共和党と言うんですが、当時の野党の共和党の人たちは、どちらかというと半共派の人が
 多いです。半共派の軍人や政治家や役人たちも占領軍に入っている。
 だから、実はGHQというのは、安倍総理と枝野先生、蓮舫先生みんな一緒に居たみたいな。
 安倍総理みたいな人もいれば、枝野先生とかそういう人もいらっしゃったという中で、対立をして
 いたという状況です。

(MC 居島一平)
 呉越同舟どころじゃないようなところなんですね。

(百田尚樹)
 最初は、ニューディーラー派が強かったんですね。途中で逆転するんですが。

(江崎道朗)
 何故かというと、ルーズベルト政権が占領政策を作ったので、日本を徹底的に痛めつけるというのが、
 基本的な政策だった。
 実際にマッカーサーたちが日本にやって来て、日本の話を聞いていると、おいおいルーズベルトが
 言っている事違うじゃん。ハーバート・ノーマンが言っている事も違うじゃん。
 実際に話をしてみると日本の国を壊そうとしているのは、吉田茂一派じゃ無くて、共産党の連中じゃ
 ないか。(中略)マッカーサーも段々考え方が変わっていく状況ですね。

(百田尚樹)
 マッカーサーが後にアメリカの上院で証言していますよね。日本が戦争に至ったのは、自衛戦争だった。
 侵略戦争では無かったとマッカーサー自身が言っています。

(MC 居島一平)
 アメリカの議会で語っているんですものね。

   (中略)

(江崎道朗)
 当時、ウィロビーという人が、
 ソ連から日本兵がドンドン舞鶴とかに帰ってくる。帰ってきた日本兵たちが洗脳されていて、共産党の
 本部の代々木に直ぐに行って、日本、革命だといって騒いで労働組合に入ったりして共産主導にいく
 ような形で、これは、おかしいな。ソ連何考えているんだという事になる。
 (ソ連が)プロジェクトストレッチ=縫い針作戦ということをやる。縫い針作戦とは、何かというと
 要はソ連から帰国した日本兵の一人ずつ工作をする。一人をずーっと工作していくと、ソ連が日本で
 共産革命を起こす為に日本兵を洗脳して送り込んできた事が解ってきた。
 これソ連が本気で日本を共産革命するつもりじゃないか?とウィロビーたちが理解して、吉田茂たちが
 言っている事は本当だったんだという話になる。

 この辺の経緯も20年くらい前にそういう文書(ベェノナ文書)が情報公開されて要約解ったんです。

   (中略)

(MC 居島一平)
 ちなみに先ほど名前が出たハーバート・ノーマンですけれど、府中刑務所の共産主義者の釈放の際に、
 直々に出向いているんですね。はぁー。そういう人物だったという。

 日本のどこでも共産主義の危険性を感じ、共産主義者の陰謀を食い止めようとした人々が居たという
 江崎さんの話なんですが、その代表格がこちら。

共産革命と戦った日本人の代表

 昭和天皇 と 吉田茂首相

■ 日本を守り抜いた昭和天皇と吉田茂首相

(江崎道朗)
 昭和天皇は、共産主義の酷さという事をよく理解されていて、これに対してどのように立ち向かったら
 いいのかという事を考えていた。
 ソ連が1945年のヤルタ会談でルーズベルトと組んで日本を共産主義にしようと動いていた。
 それに対してアメリカの保守派の人たちがルーズベルトのやっている事をなんとか阻止しようとした
 両方の事を解っていた。
 アメリカの中にもちゃんと味方がいるという事を解っていたのも昭和天皇で、昭和天皇は吉田茂たちと
 一緒になってGHQの中の反共派と手を結んで日本の共産革命を阻止する為にどうしたら良いのか。
 その一番大事なのは、食料なんです。
 当時GHQがわざと日本の食料危機を起こしていた。食べ物が食えなくするとみんな半狂乱になる
 じゃないですか。それで暴動を起こして共産革命を起こそうとした。
 それに対して、食料をとにかくアメリカから輸入しなければいけないという事で、マッカーサーに
 会いに行って、皇室の財産全部差し上げるから国民に食料を与えてくれというお願いをした。
 というマッカーサーとの会見の有名な話ですけれど、そういう意味なんですね。
 食い物が無くて飢え死にしていく、家族が食えなくて、子供が食えなくて泣き叫んでいるような状況の
 中だったら、この政府なんとかしろとなるじゃないですか。
 そうやって、反政府感情をわぁーと作るの阻止する為には、国民を食わせる。飢えから救う事が大事だ
 という事が解っていた。
 それが昭和天皇で、その意を受けて吉田茂もマッカーサーに何度も食料の輸入を認めてくれと、
 何度も何度もお願いに行っている。
 昭和天皇、吉田茂というこのラインが無いと日本は飢えで、反政府感情が強くなって大変だったと
 思います。

(MC 居島一平)
 プラカードを立てたりの取材映像がありますよね。朕は、たら腹食っているぞとかね。

(江崎道朗)
 あれも有名な話で、皇居の中には入り込んた暴動が見たら食い物が全然無くて、みんな呆気に取られた。
 一杯いい物を食っているだろうと思ったら、全然無かったので、それで暴動の人たちも、はっと気が
 付いた。
 天皇陛下も苦労されていて、自分たちが左翼に踊らされているだけかも知れないと気付いた。
 あの時に天皇陛下が、国民の飢えを救う事を一生懸命考えていたお陰だと思います。

(MC 居島一平)
 其の最中に全国巡幸とかされて・・・
 当時の日本を廻る対立状況をまとめてみました。こちらです。

GHQ占領下の日本を巡る対立状況


GHQ内のニューディラー

   日本共産党

   共産党系労組
 

VS


GHQ内の反共産主義者

   昭和天皇

   吉田首相
 

■ 自由主義 VS 共産主義 日本は危機に瀕していた

(江崎道朗)
 この時、昭和天皇は全国御巡幸といって、全国をずーっと回るんです。食うや食わずの中で、自分たち
 皇室は、国民たちの事を見捨てていません。左翼のプロパガンダに操られないで下さい。
 自分はあなた方の事を大事に思っているんですという事を実際に会って話をしなければいけないと思って
 全国を回った。
 繰り返しますが、当時はTVが無い。
 新聞もGHQによって検閲を受けているので、昭和天皇がそういう事をいくら言っても報じてくれない。
 だから、直に行くしかないという事で全国を回ったという側面があった。

(百田尚樹)
 あの時にGHQの中の共産主義の連中は、昭和天皇が全国を回れば恐らく民衆からは石を投げられるで
 あろうとか、酷い罵声を浴びせられると思っていた。
 しかし、そうではなくて、天皇陛下が全国を回った時に国民はみんな本当に喜んだんですね。
 それで逆にGHQの共産主義者は、ビックリしたという話が残っています。

(江崎道朗)
 GHQサイドは、えっ!となった。
 要するに、昭和天皇は彼らからすると貧相な人で石投げられて、自分の父親や兄貴を殺されて許せないと
 石を投げられると思ったら全然そうでは無い。
 昭和天皇が凄いのは、共産党系の労働組合の所にも行っている。
 石を投げられるんじゃないかと言われても共産党系の労働組合の所に行って、なんとか生産をして、
 国民を救ってくれて有難うみたいな事を言うと共産党労組の若い人たちも天皇陛下万歳を言う。
 その辺のところが、スゴイ勇気ですよね。

(百田尚樹)
 マッカーサーの所に行った時にも、マッカーサーは、あぁー来たな。命乞いに来たな。
 あるいは自分の言い訳に来たなと思っていたら、全く違っていた。
 文官も軍人も含めて全部私が任命した。だから、彼らに罪はない。全て私に罪がある。
 私の命はどうにでもしてくれ。ただ、国民だけは助けてくれと言った。
 それで、マッカーサーはビックリした。
 マッカーサーの回顧録には、「体中が震えた」と書いている。

(江崎道朗)
 敵国を説得するだけ力が昭和天皇にはあったお陰。
 GHQの中の皇室を打倒して共産党の野坂参三政権を作る方が日本の為だと思っていた人たちも否々、
 皇室は違う。会ってみるとそんな独裁者でもなんでも無いのが、段々解ってきた。
 GHQの中にもハーバート・ノーマンの洗脳で日本は軍国主義でダメな国だと思っていたが、
 そうでは無い事が会ってみて段々と解るようになってきてGHQの人たちも日本は大事な国だと政策が
 変わっていった。
 その中心的な存在が、昭和天皇と吉田茂である。

 吉田茂は、一生懸命にGHQのメンバーを味方に付ける為に、いじましい努力をされている。

(MC 居島一平)
 そんな最中、GHQのコミンテルンのシンパと日本の共産主義者が、日本の敗戦から2年後に遂に
 大きな賭けに出る訳ですね。
 それが先程も出たこちら、改めて。

戦後日本の最大の分岐点

 1947年2月1日

 二・一 ゼネスト

(MC 居島一平)
 日本全体を巻き込んだゼネストを行い国家機能の麻痺状態の中で一気に国会を占拠し、革命政権を
 樹立しようとした。
 それがどうして回避されてのかですよね。こちらです。どうぞ。

 前日にマッカーサーがゼネストの中止を命令 

 ⇒ チャールズ・ウィロビーの一派が正確な情勢分析

 ⇒ 吉田茂首相を代表とする保守政治家の活躍

 ⇒ 昭和天皇の言動がマッカーサーを動かした

■ 共産革命を食い止めた保守陣営

(江崎道朗)
 ウィロビーたち、反共派の情報の連中がまず、シベリア抑留帰りの人たちのヒアリングを通じて、
 ソ連が本気で日本に工作員を送り込んできている事が解ったこと。
 野坂参三たちの動きがどう考え・・・

(百田尚樹)
 野坂参三は、中国に行っていましたよね。

(江崎道朗)
 中国の延安です。中国共産党の代理人として、日本に乗り込んで来た。

(百田尚樹)
 中国の現地で実際に洗脳を見ている訳ですよ。中国共産党は、国民党の捕虜、日本人の捕虜を
 散々パラ洗脳しましたからね。
 これを実際に野坂参三は、中国で見ていて、そして、その手法を日本に持ってきた。
 野坂の話をGHQが聞いて動いたという話もありますね。

(江崎道朗)
 そうです。そうです。その片の動きがあって野坂参三首班で日本で民主化政権を作ろう、共産党政権を
 作ろうという動いていた。
 昭和天皇・吉田茂・ウィロビーの連携の中で、ウィロビーの派の仲間がマッカーサーを説得するのに
 成功したのでゼネストは中止された。

(百田尚樹)
 もしこの時に(ゼネストが)行われていたら、日本はどうなっていたでしょうね?

(江崎道朗)
 吉田茂のこの回想録(回想十年)に書いているように破滅の道に進んだかも知れない。

   (中略)

(江崎道朗)
 ハンガリーは、ハンガリー動乱といって、共産党政権に反抗して立ち上がったのに対して、ソ連は
 戦車部隊を送り込んで自由を叫ぶハンガリー市民を片っ端から殺しまくった。滅茶苦茶ですよ。
 同じようなことを日本でもソ連と中国共産党は、やるつもりでいた。
 これは、本当に大変な状況だったと思います。

(MC 居島一平)
 剣の刃渡りのようなねー。

(百田尚樹)
 危なかったですね。

(江崎道朗)
 その辺の事を知ると戦争に負けたから、平和になった。これは、嘘なんだと解る。戦後の歴史を
 書き換えないといけないと思っている。